パッケージ幸福論2010
みんなの幸福のためにパッケージにできることはないのですか? 2010年 10月18日~10月31日

中島農園三度目の今年は、いよいよ展覧会の本質に迫るお題を出させていただきました。ぼくが鹿目尚志氏から「企業で働く若きパッケージデザイナーたちによる展覧会」のディレクターとしての指名を受けたのは2009年、あのリーマンショックの起きる前でした。
今では毎年恒例のようになっている「ゲリラ豪雨」というものを初めて強烈に意識した夏、一見安泰に見える日々を襲ったこの天変地異に近い自然現象にぼくは強い不安感を抱きました。「低レベル安定社会」というキーワードが生まれた背景にはこの漠とした不安感があったのです。精緻な理論の組み立てから生まれた言葉ではないのでやや曖昧な概念としての言葉ではあったのですが、直後に起こったリーマンショックと、それを震源とする社会経済の大激震に社会が大きくうごめき始め、ゆるぎないと思われていた経済的な基盤が不安定なものとなってゆくなかでこの言葉が不思議な力を持ち始めました。
企業の自己防衛のあおりをもろに受け、仕事を失う仲間も現れ始めます。企業に所属するぼくたちはどこかで守られている立場であるとは思いますが、これまでのようにがむしゃらに作り続けていればよいのか、という疑問を無視することはもはやできない。デザイン、クリエイティブ活動を通して企業に利益をもたらすことによって生計を立てている、という自分たちの現実の姿を正面から見つめたうえで「デザインって何のためにあるの?」「幸福っていったい何?」という課題に取り組もうとしたのが「パッケージ幸福論~低レベル安定社会へのデザイン」という中島農園最初の展覧会でした。
この展覧会では「中島農園の無農薬玄米」という架空の産物を設定しました。「デザインで食べています」という言葉が示す通り、社会を生きていくことと「食」は密接につながっています。社会の不安定感が増してくると「食」の安定をまず第一に考えるのは当然のことだと思います。来るべき不安定な社会の中、ぼくたちの主食「米」はだいじょうぶか。「中島農園」という言葉を使い続けている理由は、これまで意識することなく消費していた「米」そして「食」というものをもっと意識化しなくては、という自省にあります。
さて、大きな反響を呼んだ展覧会ではありましたが「デザイン」と「これからの社会」との関係をどう構築していくのか、という課題への積極的な回答が生まれたわけではありません。また昨年開催したパッケージ幸福論第二回「ジーケッパ!」展では課題そのものがややぼやけてしまったかもしれない、との反省があります。
第三回を迎えるにあたって初心に立ち返り「これからの社会における『デザイン』の意味は?『クリエイティブ』の価値は?」という問いかけについてもう一度あらためて答えを探ってみたいと思います。たとえ明快な答えが出なくても、真摯に、なんとかして答えを見つけようとする動き、これを展覧会で表現できたら、と考えています。
中島農園シリーズの根底に流れているのは「『パッケージ幸福論』というキーワードのもとに明日の社会を描いてみよう」という提案です。これをもう一度、参加デザイナー、そして展覧会に来てくださるみんなとともに共有できれば、と願っています。

[ 参加デザイナー ]
 松田澄子(中塚広告事務所)× 松井孝(ポーラ)× 田中健一(コーセー)
 赤井尚子(コーセー)× 湯本逸郎(花王)× 石浦弘幸(サントリー)
 杉山ユキ(博報堂)× 大上一重(鹿目デザイン)× 木村雅彦(GK)
 近藤真弓(GK)× 井上大器(ソニー)× 山﨑茂(コーセー)
 長崎佑香(資生堂)× 廣瀬賢一(ソニー)× 小野太一(ポーラ)
 近藤香織(資生堂)× 籠谷隆(大日本印刷)× 石田清志(underline graphic

[ 2010年の出来事 ]
 日本航空が事実上の倒産
 「はやぶさ」が地球に帰還
 東北新幹線 全線開通