パッケージ幸福論のクリスマス 2016年 12月12日~12月24日

「パッケージ幸福論」この取り組みは2008年の夏、前年鹿目尚志氏がプロデュースしたインハウスの若手パッケージデザイナーの展覧会を引き継ぐかたちでスタートした。
 翌年2009年には民主党政権が誕生しており、社会的弱者に対する問題意識が高まりを見せ「派遣村」や「仕分け」などが話題となった。この時期、様々な分野で出口の見えない低成長時代における新たなる価値の想像が模索されはじめていた。そこに前代未聞のゲリラ豪雨の襲来が重なり、誰もが現状や未来の社会、環境に対する不安を感じていたように記憶している。
 そんな状況の中で僕が掲げたキーワードが「低レベル安定社会」である。バブルのような華やかさはなくとも安心して生きられる社会、不安のない未来こそが大切なのではないか、という感覚から生まれた言葉である。これにあわせて「これから先、僕たちにとっていったい何が幸せなんだろうか」ということを考えて行く必要がある、という認識から「パッケージ幸福論」という言葉が生まれた。
 自分たちがなりわいとしているパッケージデザインというものを通じてこれからの幸福について考えて行くことはできないのだろうか?高度経済成長やバブル経済を支えるかたちできらびやかに輝き続けていた「デザイン」それははたして市場経済を支えためのものでしかなかったのだろうか?という問いかけ。しかしそれは容易に答えの出せる問題ではなく、この展覧会は各自が何らかの答えを見出すための苦闘の始まりとなった。
 そんな悠長な試行錯誤を根底から覆すような出来事が起こる。2011年3月11日東日本大震災である。生命の危機、ライフラインの断絶に直面して僕たちはここであらためて「デザイン」の無力さにうちひしがれる。今までやってきた事はいったい何だったのか、大きな犠牲を前にして立ち尽くす以外に出来ることはなかった。もちろん、様々な局面で「デザイン」が多少なりとも災害からの立ち直りに寄与した事例も伝えられたが、正直造形の力でなんとかできる、という実感は全く失われていた。
 それでも僕たちは展覧会を開いた。今こそ「パッケージ幸福論」なのではないか。と。直接力になれなくとも、「幸福を届けたい」という祈りに似た気持ちだけでも表明してみよう、と挑戦した。みんなで前を向いて進める、という成果だけはかろうじてあったとは思うが、今から思えば苦し紛れの挑戦であった。
 その後、社会がどんどん変化する中で、僕たちの苦闘は毎年続いた。昨年に至っては、東京オリンピックにまつわる競技場デザインの問題、エンブレムデザインの問題などが社会問題として取り沙汰されるなかで「デザイン」を取り巻く環境はますます厳しさを増してきている。年を経るごとに僕たちの「悶悶」は増大している。
 でも僕たちは「パッケージ幸福論」という言葉だけは捨てなかった。捨てられなかった。明快な理屈はつけられない。でも「デザインには人の心をとらえる何かがある。それは何なんだ?」自然環境、社会状況の荒波に七転八倒する小舟「パッケージ幸福論」号。ここでもう一度「人の心をとらえる何か」を求めて、造形で答えを見つけようと苦闘します。造形の力を信じて挑戦します。「デザイン」には「何か」がある。そしてそれはきっと「幸福」につながっているはずだ!と小舟でもがきながら12月の夜空に向かって叫びます。「メリー苦しみマス!」

[ 参加デザイナー ] 
 赤井尚子(コーセー)
 石田清志(underline graphic) 
 井上大器(ソニー) 
 大上一重(鹿目デザイン事務所 )
 籠谷隆(大日本印刷)
 田中健一(コトリデザインスタンダード)
 廣瀬 賢一(ソニー) 
 松田澄子(タイガー&デザイン)
 山﨑 茂 (コーセー)
 湯本 逸郎(花王 )
 中島信也(東北新社)

[ 2016年の出来事 ]
 熊本地震
 SMAPが解散を発表
 築地市場移転問題